【論文発表】キャリア教育_キャリア教育に関する分析と考察④
さて、次は「実践と理論化のどちらに重点を置いているか」という点についてだが、南外中学校が「実践」であり、京都中学校が「理論化」である。
南外中学校の佐々木先生は、「教員がやるべきことは、とにかく良い実践を行うこと。
理論化は学者や文部科学省に任せればいい」というスタンスを取っていて、その基盤にあるのはやはり「子どものため」という教育哲学である。
教員や学校が本来の時間を削って理論化を成功させたとしても、
それは社会全体にとって意味のあることでも、目の前の子どもたちにとってそれほどプラスになることではなく、
あくまでも今までの実践を振り返りながら、より良い実践を行えるようにしていくことに意味があると考えているのである。
京都中学校は、著書からも読み取れるが、実践もさることながら理論化に力を入れている。
それは、研究協議会の様子にも顕著に見られて、研究協議会の講演会では上越教育大学の助教授が発表をし、
分科会では助言者として前出の文教大学名誉教授であり日本進路指導学会名誉会長の仙崎武氏を始めとして、
帝京大学名誉教授、千葉大学教授、京都教育大学教授、関西大学院教授、アントレプレナーシップ開発センター事務局長などの名が連ねているところを見れば一目瞭然だろう。
とは言え、研究開発指定校ともなれば多少の理論化の必要性は出てくることや、理論化はキャリア教育の普及や全体の質を底上げに寄与することから、
理論化の傾向事態を安直に批判することは避けるべきかも知れない。
京都中学校ほどの規模の学校ともなれば、全ての教員がそれぞれの実践を把握することは難しいだろうから、
ナレッジマネジメントの意味でも、同僚や後任の教員に実践を体系化して伝えるという観点からは理論化は有効である。
「キャリア教育がはじまった契機」については、南外中学校が「実感からのボトムアップ」のに対し、京都中学校が「論理によるトップダウン」と記した。
これは、先ほどの「どこに目が向いているか」で書いたことや、「実践と理論化のどちらに重点を置いているか」ということにも共通しているが、
京都中学校においては行政あるいは学校長からトップダウンでキャリア教育が下りてきたと考えられる。
同じく表中の「答申や報告書などの扱い」の項が、京都中学校では「翻訳対象」であるとしたのもここに起因する。
すなわち、上から下りてきたキャリア教育というものを、報告書や理論家のアドバイスをもとに、
とにかく正確に「翻訳」して正確に実践しようとしているように感じられるのである。
「どこに目が向いているか」のところで、「綺麗な言葉が使われすぎている嫌いがある」と記した理由は、まさにこの部分にあり、
自分たちの言葉ではない誰かの言葉、借り物の言葉でキャリア教育が語られすぎているような感を受けるのである。
この点、南外中学校においては、第2章でも述べたとおり、いち教員の実感から現場からのボトムアップでキャリア教育の取り組みが始まっている。
佐々木先生が「人生を教えたい」という思いのもとに、必要だと考えられた教育実践をしてみたら、それがたまたまキャリア教育だったという程度のもので、
当たり前に必要でだと考えているからとにかく気負うところがない。
このため、答申や報告書は、それこそ「引用対象」であり「参考程度」に見るものであって、「翻訳対象」にはなり得ないのである。
これらの違いは、たとえば南外中学校と京都中学校の教員をそれぞれ一人つかまえて
「キャリア教育って、つまりどういう教育ですか?」という質問をしてみれば、すぐに分かるのではないだろうか。
筆者の場合、前者は平易な言葉で思うところを忌憚なく述べてくれたのに対し、後者は報告書にあるような文面をところどころ引用しながらの説明であった。
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